【無料ブラウザゲーム】AI対話型歴史シミュレーションゲームで世界征服してみた【Pax Historia】

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歴史上や架空の国家、創作された世界の指導者となって遊ぶAIシミュレーションゲームです。他勢力のAIと外交したり、取引したり、戦争したりして世界を動かすことができます

 

AIの性能を上げたり、ゲームを進めたり、AIと対話したり相談するには。ゲーム内専用の”トークン”なるものが必要です。しかし、サクッと遊ぶ分には何も心配要りません

 

思考AIは一番安いのを使っても結構ちゃんと動いてくれますし。サクッと遊ぶ分には、Googleアカウントと連携させると一度だけもらえるサインアップトークンと、毎日ログインするともらえるデイリートークンで十分に遊べます

 

このPax Historiaをじっくり遊びたいなとなると、課金が必要になってくるかもしれませんが。それはまあ、Pax Historiaを一通りサクッと遊んでから考えればいいことです

 

ゲーム内の行動は基本テキスト入力方式になっています。ぶっ飛んだテキスト内容も、AIがうまい感じにまとめて出力してくれてスゲーって感じです。新しい国家や組織や人物を自由に設定して操作できたりもしちゃって、かなり自由度の高いゲームになってます

 

例えば。第二次世界大戦シナリオの日本プレイで、満州を経済特区として開放してドイツやアメリカの企業を誘致してみたり。勝手に上海に上陸した帝国海軍にキレて、帝国海軍を解体して帝国陸軍へ統合。新組織、総帥軍を設立してみたり。世界の安定と平和重視プレイで世界の調停者みたいなことをしてみたり

 

日本プレイでは大人しくしすぎてストレスが溜まったので、”今度は暴れてやるぞ!”と選んだ第二次世界大戦シナリオのドイツでは、悪逆の限りを尽くしました

 

占領地のレジスタンス組織を、恐怖政治で支配してみたり。研究者の家族を人質にとって、核爆弾を作らせたり。作らせた核爆弾をアメリカ本土に叩き込んでみたり。支配地域の労働力を酷使して、世界首都ゲルマニアを建設させたり

 

ドイツプレイでのぶっ飛んだ内容としては。ドリル車なるものを開発させて、戦争に投入したことでしょうか。ポーランド戦では、ドリル車を使って旧式の要塞を破壊したり。フランス戦では、マジノ線を地下から突破して、地上の機甲師団と連携した『地中電撃戦』なるものを考案したり。ソ連戦では、ドリル車を使って地下兵站トンネルを作成して冬将軍を無力化してみたりと。なかなかハチャメチャしてます

 

欠点としては、偶に入力テキストと違うことをゲームが出力してくる点でしょうか。入力するテキストを具体的に書かないと反映されないことがあったり。”北米”と入力しはずなのに、イギリスも対象に入ってしまったり。実行した計画は、ちゃんと予定日の前で”完成させる”とテキスト入力しないと忘れられてしまったりと

 

それでもテキスト入力とAIアドバイザーのコツを掴んでしまえば、そんな欠点も欠点ではなくなっていきます

 

WW2シナリオ 日本プレイ

 

1936年11月10日
ラウンド 1-4
1935 年 12 月から 1936 年 11 月にかけて、日本は満州国を軸とした国家総動員体制を構築し、国際情勢の激変の中で独自の新秩序形成を推し進めた。
満州開発と経済圏構築(1935.12~1936.06) 日本は哈大線・中東鉄道の改修に着手し、満州全域を関税優遇措置付きの「経済特区」とする長期プロジェクトを発動した。独・米・英に対し資源開発権と貿易特権を提供して外資を誘致し、特にドイツからは IG ファルベンによる合成燃料プラント建設、米国からはフォード・GM による自動車組立工場進出を取り付けた。1935 年 12 月 8 日の共産中国との協議では、満州経由での国民党への物資供給禁止を条件に「日満中共不可侵条約(5 年間)」を締結し、北西部国境の安全を確保した。1936 年春には大規模な地質調査結果を公表し、「いかなるイデオロギーにも門戸を開く」姿勢を強調して欧米の警戒感を緩和しつつ、実質的な資源支配を固めた。
国内政局と軍事再編(1936.02~1936.04) 二・二六事件により皇道派が一掃され、広田弘毅内閣の下で軍部主導の「国策基準」が策定された。事件関与者の一部は処刑され、残りはスペインへ派遣されて国民軍側で実戦経験を積んだ。また、関東軍とは別に小規模な「満州独立警備隊」を創設し、治安維持と国境監視を強化した。
外交戦略と国際協定(1936.09~1936.11) 欧州ではイタリアのエチオピア征服とスペイン内戦勃発、ドイツのラインラント進駐が発生。日本はこの混乱に乗じ、1936 年 9 月 10 日の独日協議でソ連封じ込めを目的とした「日独防共協定」の基本合意に至り、同月 15 日に正式調印した。併せて陸海軍の技術交換も決定された。南進政策については、蘭印との石油長期契約締結やシンガポールへの親善訪問で英国・オランダとの関係を調整し、対米関係でも満州の門戸開放をアピールして孤立主義層の理解を得ようとした。一方、ソ連極東軍の増強に対抗し、モンゴル諸侯への工作で背後攪乱を図るとともに、北京・天津周辺に非武装地帯設置を国民党へ提案するなど、対中緩和工作も並行して推進した。紀元二千六百年記念博覧会の開催も決定され、国内外への国威発揚準備が整った。
1937年9月25日
ラウンド 5-8
1936 年 11 月から 1937 年 9 月にかけて、日本は満州国を軸に経済・外交・軍事の多面的な戦略を展開した。初期段階では、対米関係強化のため満州産大豆の関税撤廃を実施し、米国農家や銀行団(モルガン等)から支持を獲得。ニューヨーク銀行団による満州国債引受と、フォード・IG ファルベン等の合弁工場建設により、「米日協力モデル」を確立し、米国資本を満州経済に不可逆的に結びつけた。同時に、ドイツ技術を活用した鞍山製鉄所での対戦車砲量産や、黒龍江沿岸への地雷原・対戦車壕の構築など、対ソ防衛態勢を急ピッチで整備。蒙古ドメインズへの秘密資金供与によりシベリア鉄道襲撃を激化させ、ソ連極東軍の後方攪乱に成功した。
対中政策では、国民党親日派への資金提供により「日中提携論」を党内多数派工作で成立させ、北京・天津での合弁繊維工場建設や天皇謁見の実現を通じて支持基盤を盤石化させた。1936 年 11 月の共産中国との対話では、軍事演習停止と段階的撤兵を約束し、一時的な国境緊張緩和を達成している。欧州ではスペイン内戦にてフランコ軍へ航空機供給を行い、終戦後の鉄鉱石優先権や復興利権を確保。マドリードに「日本・スペイン復興支援本部」を常設し、政治的影響力を固定化した。
1937 年に入ると、オランダ領東インド(ジャワ島)での石油共同開発を深化させ、技術指導員派遣やインフラ融資により実質的な支配権を掌握。英国領マレーシアとはシンガポール沖で日蘭英合同パトロールを開始し、海上航路の安全確保を名目に存在感を誇示した。5 月のドイツとの協議では、本格軍事同盟こそ回避したものの、ソ連に対する情報共有と相互軍事行動の自由で合意し、秘密通信回線を開設。北海道には対ソスパイ養成機関を秘密裏に設立した。
しかし、1937 年 8 月の盧溝橋事件を契機に情勢は一変。日本は第三者委員会設置や部隊移動凍結などで沈静化を図ったが、親日派.working や停戦努力も虚しく、9 月 25 日に上海で日中海軍陸戦隊と中国軍の大規模銃撃戦が発生。南京政府が総動員令を発令し、局地衝突は泥沼の全面戦争へと発展した。この間、博覧会開催や皇族訪問などを通じた国際世論工作も継続されたが、開戦により日中協調路線は破綻した。
1938年5月20日
ラウンド 9-12
1937 年 9 月から 1938 年 5 月にかけて、日本は対中戦争の収束と北辺・南方の安全保障を軸に国策を転換させた。1937 年 9 月、上海での軍事衝突を受け日中双方が即時停戦で合意。日本は海軍の独断専行を厳しく糾弾し責任者を処刑、海軍陸戦機能を陸軍へ統合して「統帥軍」を発足させ、平和主義への回帰を宣言した。これに伴い親日派への資金援助と裏交渉を強化し、南京政府内で和平機運を醸成した。
北辺では蒙古ドメインズを活用しシベリア鉄道を麻痺させてソ連軍の南進を阻止。遼寧・黒龍江国境には聴音機や地雷原、ドイツ製暗視装置を配置し、満州独立警備隊を増強して盤石な防御線を構築した。外交面では 1937 年 11 月に独日間で同盟を調整し、満州防衛を明記しつつ欧州戦争への自動参戦条項を削除。さらに独日间でソ連極東軍の情報共有プロトコルを発効させた。
経済・資源戦略として、スペイン内戦終結後にフランコ政権と鉄鉱石供給及びインフラ受注で独占契約を結び、週次の護衛船団運航を開始。オランダ領東インドでは港湾融資と精製工場建設をテコにスマトラ油田の排他的採掘権を獲得し、ジャワ島に日本人居住区を造成して恒久拠点を確立した。対米関係では満州国債の引受拡大や鞍山製鉄所の株式売却により米国資本(US スチール等)を绑定させ、満州産農産物の関税撤廃法案成立へ導き、日米経済圏の不可逆化を図った。
1938 年 2 月より本格化した日中和平交渉では、日本が満州以外の地域からの完全撤退と武器・医薬品支援を約束。蒙古ドメインズの活動範囲制限も条文化され、5 月の調印式に向け英米仏を証人とする国際的枠組みで調整が進んだ。高松宮宣仁親王の特使派遣と南京での厳戒態勢の下、1938 年 5 月 20 日、南京にて日中和平条約が正式に調印され、長年の対立に終止符が打たれた。同時に朝鮮半島での陸海合同演習や英国との海軍技術共同研究提案など、新たな安保体制の構築も並行して進行している。
1938年12月10日
ラウンド 13-16
1938 年 5 月から 12 月にかけて、日本は中華民国との和平条約履行を最優先し、上海および華北からの軍隊撤退を完遂した。撤兵直後、民間技術者チームによる南京の鉄道修復や日中合弁工場拡充など経済協力を開始し、信頼関係を構築。同時に、中国共産党とソ連へスパイ網を浸透させ、その情報を独・中両国と共有する「防共トライアングル」を形成した。提供した兵站ルート地図に基づき、蒙古遊撃隊と国民党軍がソ連から延安への補給路を物理的に遮断する共同作戦を展開している。
北方国境では、黒龍江沿いに聴音機・赤外線暗視装置を備えた対戦車陣地を強化し、冬季の河川凍結を利用した侵攻ルートへ特殊地雷を敷設してソ連軍を完全に封じ込めた。一方、東南アジアではオランダ領東インドへの浸透を深化させ、パレンバン油田の採掘権を日蘭合弁で独占する条約を締結。ジャワ島には日本人居住区(事実上の租界)を造成し、日英蘭三国による海上相互防衛覚書や合同パトロール体制を確立、南シナ海北部まで行動範囲を拡大した。
米国に対しては、満州農業開発投資信託や国債販売を通じて一般市民層を利害関係者化し、大豆先物取引の基準地を東京へ移管するなど経済的依存度を極大化させた。技術面では英国へ探知装置の設計図を提供し、海軍士官の相互留学制度を創設、日英協調を盤石にした。
欧州情勢においては、ズデーテン危機に対し高松宮宣仁親王を特使として派遣しミュンヘン会談を仲介、欧州大戦を未然に防止した。この功績により「欧亜調停委員会」設立を提唱し、国際的な調停者としての地位を固めている。日中英三国間では上海連絡事務所を拠点とした情報共有体制を発足させ、共産主義封じ込めに向けた具体的な防共協力枠組みで合意に至った。現在、ソ連極東軍の再編動向に警戒しつつ、皇紀二千六百年記念博覧会の準備など国内求心力の強化も進めている。
1939年9月20日
ラウンド 17-20
1938 年 12 月から 1939 年 9 月にかけて、日本は極東における防衛強化と経済圏の確立、そして欧州調停者としての地位構築に注力した。
北辺防衛と対ソ工作(1938.12〜1939.09) 黒龍江沿線では氷層貫通地雷と無人偵察機による 24 時間監視網を完成させ、ソ連軍の冬季侵攻を完全に封じた。同時に、満州独立警備隊および蒙古遊撃隊を通じ、シベリア鉄道と通信インフラへの破壊工作を激化させ、ソ連極東軍の補給を麻痺させた。この東西からの圧力により、ソ連は極東増強を断念し、兵力を欧州へ集中せざるを得なくなった。1939 年 9 月の独ソによるポーランド分割侵攻後も、国境付近の小競り合いはあったものの、日本の鉄壁の防御態勢により大規模衝突は回避されている。
蘭印支配と日米英中連携(1938.12〜1939.09) 蘭印(オランダ領東インド)では、パレンバン油田を実質的に軍事管理下とし、日蘭合同警備隊や融資条件の緩和を通じてオランダ経済エリートを日本依存体質へ組み込んだ。ハルビンまでの石油輸送ルートと現地精製施設を完成させ、米国資本をも巻き込んだ「エネルギー大動脈」を確立した。 外交面では、1938 年 12 月の英・中華民国との会談において、軍事支援義務こそ除外されたものの、軍需物資の相互補完と共産圏に対する輸出制限で合意。上海連絡事務所を中心に防共協力体制を具体化し、検問所での共同監視や特別法廷設置により中国国内の共産勢力壊滅を図った。また、満州国の自動車工場自給体制や大豆先物市場の東京移管など、米国企業との経済的融合を深め、対日制裁の可能性を封じた。
欧州調停と第二次世界大戦の勃発(1939.02〜1939.09) 日本は高松宮殿下を特使とし、欧州紛争予防に介入。1939 年 2 月の独仏チェコ間の会談をスイスで仲介し、ズデーテン地方の一部返還と引き換えに独チェコ不可侵条約を締結させ、一時平和を実現した。さらに「日欧平和監視委員会」の設置を提案し、調停者としての制度化を進めた。 しかし、1939 年 9 月 1 日のドイツによるポーランド侵攻で状況は一変。日本は即時停戦を要請したが受け入れられず、英仏が宣戦布告するに至った。直後の会談では、日本がドイツへの資源供給停止や軍事介入も辞さない姿勢を示して警告を行った結果、独仏双方が調査結果に基づく段階的な緊張緩和に合意するなど、限定的な影響力を発揮している。現在、日本は欧州大戦への直接関与を避けつつ、アジア新秩序の確立と経済圏の巩固を最優先方針としている。
1940年2月25日
ラウンド 21-24
1939 年 9 月から 1940 年 2 月にかけて、日本は「文明の守り手」としての地位を確立し、独ソ枢軸に対抗する自由世界陣営の中心へと変貌した。
外交・経済圏の再編(1939 年 9 月〜12 月) ドイツによるポーランド侵攻を受け、日本は独仏調停を試みたが失敗。ドイツが国際規範を軽視し満州資源供給を脅迫したため、日本は対独関係を見直し、英仏側へ完全に転じた。これに伴い、鞍山製鉄所とジャワ油田の権益を米国企業へ譲渡し、事実上の「日米英蘭共同管理区」を創出。太平洋航路での石油輸送を最優先し、ドイツ依存を断ち切ると同時に、米国資本をアジアの経済運命に直接責任させることで強固な運命共同体を構築した。また、オランダとは防衛条約を締結し、ジャワ・スマトラ島の防衛責任と軍事駐屯の永久化、バタビアへの臨時首都機能設置を実現した。
対ソ・対中戦略(1939 年 9 月〜1940 年 2 月) 極東ではシベリア鉄道への襲撃を激化させ、モンゴル遊撃隊へ重火器を供与してソ連の後方補給線を物理的に麻痺させた。遼寧・黒龍江沿岸には無人偵察機網と氷層検知式自動迎撃システムを配備し、国境を「死の地帯」化してソ連軍の南進能力を封じ込めた。中国大陸では南京政府と連携し、上海で共産主義者に対する予防拘禁法を施行。西安・北京に諜報統合本部を設置し、国民党軍と共に延安への最終包囲網を完成させ、指導部の排除を図っている。
軍事技術・同盟強化(1939 年 10 月〜1940 年 2 月) 伊日共同開発の高性能偵察機データを英仏へ開放し、シンガポールで合同演習を実施して対独包囲網を具体化した。さらに米国とは「太平洋標準戦車」の共同開発や軍用車両の大量発注を行い、日西資源護衛艦隊への米観測員同乗により、攻撃を「米国への攻撃」とみなす協定を締結。満州工場にも米観測員を常駐させ、事実上の日米軍事同盟を技術・兵站面で裏付けた。
国際秩序の形成(1939 年 12 月〜1940 年 2 月) 高松宮殿下を特使とし、チューリッヒでの欧州停戦監視団派遣を提案するもドイツに拒絶された。この結果、1939 年末から 1940 年初頭にかけて東京で米・英・仏・中華民国首脳による「自由諸国サミット」を開催。皇紀二千六百年記念博覧会に合わせて独ソ非難の共同声明を発表し、両国に対する全面적인経済封鎖と海上封鎖を実行した。現在、日本は最後の調停努力として高松宮殿下をスイスへ派遣しているが、世界はもはや開戦回避が困難な情勢にあると認識している。
1940年8月15日
ラウンド 25-28
1940 年 2 月下旬から 8 月中旬にかけて、日本は日米英蘭の緊密な連携のもと、世界秩序を劇的に再編した。2 月 25 日、三国海軍は独・ソの動向を共有する東京・ワシントン直結データセンターの支援を受け、大西洋・インド洋のドイツ船籍を悉く拿捕し、敵資源供給路を物理的に遮断した。同時に、西安において統帥軍と国民党軍が共産党根拠地へ総攻撃をかけ、3 月 8 日に指導部を拘束・壊滅させることで中国大陸の内乱を終結させた。また、欧州では特殊部隊がオランダ王室を救出し、3 月 10 日にバタビアへ移送して亡命政府を樹立、日本の蘭印駐留に法的正当性を与えた。
軍事面では、満州にて日米共同開発の戦闘機・戦車量産ラインが稼働し、航空戦力の標準化を達成。対ソ連対策として、3 月の極寒における冬季装備庫破壊工作や、4 月の極東独立運動家支援により緩衝国家を樹立させ、ソ連の極東軍事活動を事実上停止に追い込んだ。経済・外交においては、皇紀二千六百年記念博覧会(3 月)を舞台に「太平洋平和機構」の設立を宣言。日米主導の通信・物流規格「太平洋標準」と日本円基準の決済システムを導入し、英国・蘭印・中国のみならず南米諸国をも巻き込む巨大経済ブロックを形成した。さらに、南サハリンには多国間学術都市と高速鉄道を建設し、原子力研究を含む技術覇権を確立している。
3 月 25 日の英・米・中・蘭との首脳級協議では、アジア太平洋の安保体制構築と南サハリン経済特区化で合意し、共産主義封じ込めへの結束を確認した。その後の交渉により、スイス経由でドイツ和平派を支援し 4 月にクーデターを成功させて欧州大戦を終結、イタリアでも王党派を支援して 8 月初頭にムッソリーニ政権を崩壊させた。これら一連の成果により、日本は地中海から太平洋に至る全球航路ネットワークを掌握し、名実ともに超大国としての地位を固めた。
1941年6月5日
ラウンド 29-32
1940 年 8 月から 1941 年 6 月にかけて、日本は極東および全球規模での外交・経済覇権を確立した。まず米英蘭中との協議により、ソ連の北サハリン経済特区参加を「独仏国境の安定化」と「ポーランド領土返還」を条件に合意。ソ連とは利益配分を固定比率とし、欧州平和監視団の恒久化をもって包括協議を開始することで極東緊張を緩和させた。これに伴い、日英はシンガポール・スエズ方面の共同パトロールを強化し、南サハリンでは国際共同研究と秘密裏のウラン調査が並行して進行。原子力開発は民生用発電所を装いつつ、核心技術と設計図を日本が独占管理する体制を敷いた。
中国大陸では、華北経済特区で日中通貨「東亜通宝」を発行し、蒋介石率いる国民党指導部を北京へ招いて工場視察を実施。信頼関係を深化させつつ、通貨圏を河南・山東から安徽・湖北へ拡大し、北京〜南京間の高速鉄道建設で経済的不可分関係を完成させた。一方、西安諜報本部と特殊部隊により延安周辺の共産党勢力を壊滅させ、組織的な抵抗を終結させている。
米国資本については、満州における外資規制と技術自立五年計画を掲げつつ、蘭印・仏印への税制優遇で投資先を南方へ誘導。フォード社などの自動車工場建設や大豆先物市場開設を通じ、金融・産業面で深い結びつきを維持しながら実質的な支配権を確保した。また、太平洋標準通信規格をアフリカ(リベリア・エチオピア)や中南米(ブラジル)へ無償提供し、グローバルな技術覇権を確立。国際技術標準化委員会にはソ連や中南米諸国を理事として迎え入れ、組織の透明性を高めている。
欧州では、独仏国境に恒久的な司令部と「欧州平和大学」を設置し、軍事監視から教育交流へと転換。チューリッヒ会議で独・ソ・ポーランド亡命政府を招集し、領土返還スケジュールの協議を進めた。1941 年 5 月にはオランダ王室の帰還と引き換えに蘭印防衛権を永久委譲する条約を締結。陸上治安を日本軍、海上監視を再建されたオランダ海軍が担う新体制が発足し、スマトラ沖で合同演習を実施した。しかし、1941 年 6 月 5 日、ドイツが突如ソ連へ侵攻(バルバロッサ作戦)を開始し、欧州情勢は劇的に変化。赤軍は総動員令を発令し、日本の極東戦略にも重大な影響を与える事態となった。
1941年9月5日
ラウンド 33-36
1941 年 6 月上旬、日本はバタビア沖で米英蘭との合同演習を実施し太平洋の安定を誇示すると同時に、南京政府へ諜報機能を移管し共産党掃討を完了させた。東亜通宝の使用を中国全土へ拡大し経済一体化を推進する一方、極秘裏にウラン鉱石の確保と南サハリンにおける核研究施設の偽装(民生用原発)を進めた。ドイツのソ連侵攻(バルバロッサ作戦)を受け、日本は日独防共協定を凍結・破棄し、英米ソ中蘭による緊急首脳会談を開催。対独制裁とソ連への物資支援で合意した。
7 月に入ると、満州鉄道とシベリア鉄道の直結線を突貫工事し、民間トラックを徴用してソ連へ燃料や車両を供給する「鉄の血管」を構築。この際、日ソ米間で緊密な協議が行われ、ソ連の「手続きより速度を」との要請に応じ、国境検問を簡素化・撤去して輸送を最優先した。同時に、満州国境付近に大規模兵站基地を建設し「北進」可能な態勢を隠蔽しつつ整備、蒙古遊撃隊を通じたシベリア鉄道沿線の監視も強化した。海上ではバタビア艦隊と太平洋艦隊を統合し、マラッカからスエズに至る航路で米観測員同乗の下、軸枢国船舶の徹底臨検を実施した。
8 月 15 日のモスクワ陥落とソ連政府崩壊後、極東の権力空白に対し日米中は即時対応を協議。ハバロフスクに「日中米三国本部」を設置し、シベリア全域を経済特区化することで合意した。日本軍は治安維持を名目に黒龍江の地雷原を撤去し戦車を進出、ウラル山脈に防衛線を構築してドイツの東方拡大を阻止した。シベリアでは旧通貨を禁止し東亜通宝を導入、油田権益を米国企業に売却して資本を縛り付けた。また、蒋介石との新条約締結により不平等条約を廃棄し、シベリア経営における中国の権益を明文化した。
核開発計画は最終段階に入り、ポイント・ネモでの核実験を成功させ、ウラン輸送を潜水艦ルートへ完全移行。スマトラの免税特区では、昼は民間施設・夜は軍用機整備工場という二重運用を開始した。9 月初頭現在、世界は西のドイツと東の日本による二大覇権状態となり、極東では日中米による共同管理体制の下、「熱い平和」が確立されている。

 

WW2シナリオ ドイツプレイ

1936年5月10日
ラウンド 1-4
1935 年 12 月から 1936 年 5 月にかけて、ドイツは国家総動員体制を確立し、欧州の地政学を激変させた。経済面では「ドイツ企業連合本部」を設立し、中小企業の統合と規格統一による生産効率化を断行。ルール地方のフランス資本炭鉱を接収し通貨をライヒスマルクへ完全移行、ザール地方を実質併合した。1936 年 3 月にはゲーリング主導の「経済四カ年計画」を発動、人造石油・ゴムの自給体制構築と女性・外国人労働力の動員を推進。軍事技術開発として、対要塞用「ドリル車」を試作し工兵大隊を編成、仏独国境にマジノ要塞を迂回する地下陣地網の構築を開始した。
外交・領土拡張においては、イタリアとの密約(エチオピア問題での支持と引き換えにオーストリア不干渉)を成立させ、1936 年 4 月にオーストリア国内の親独派デモと経済封鎖を利用して政権を崩壊させ、事実上の併合を完了させた。チェコスロバキアに対しては、ハンガリー・ポーランドと連携しズデーテンおよび南スロバキアの割譲を要求、武力行使も辞さない最終通告を行っている。1936 年 2 月のラインラント進駐は英仏の宥和政策により成功し、西部国境の防衛線が強化された。
国際協力では、ルーマニアに対し工作機械提供と引き換えに石油供給協定(月間 2 万トンへ増額)を締結しバルカン経済圏を掌握。日本とはキール港での光学機器実演を契機に軍事技術を交換、U ボート設計図と急降下爆撃教本の相互移転、新型艦上爆撃機の共同開発を進めた。ソ連とはストックホルムで極秘会談を行い、スペイン内戦の戦訓やドリル車データと引き換えに BT 戦車のサスペンション技術および石油供給の合意を取り付け、ポーランド孤立化を図った。スペイン内戦では「コンドル軍団」を派遣しフランコ政権を支援、ゲルニカ爆撃などの無差別攻撃で共和派を圧迫し、モロッコの鉄鉱石採掘権を獲得した。
一方、スウェーデンとの鉄鉱石交渉は、ドイツが外貨支払いを拒否し技術提供のみを提案したため決裂し、代替供給先の模索を余儀なくされた。ポーランド回廊の問題では強硬な姿勢を示すも拒絶され、関係は冷却している。現在、ドイツは西側国境を固め、東方での領土拡大と資源確保に向け戦争準備を整えている。
1936年6月22日
ラウンド 5-8
1936 年 5 月 10 日から 6 月 22 日にかけて、ドイツは欧州の地政学を根本から書き換える電撃的な拡大と同盟再編を断行した。
中欧の崩壊と技術革新(5 月 10 日〜15 日) ドイツはハンガリー、ポーランドと共謀しチェコスロバキアへ最後通牒を発令。回答拒絶を受け、5 月 11 日にズデーテン地方へ侵攻を開始すると同時に、ハンガリー軍が南スロバキア、ポーランド軍がテッシェン地区へ進軍した。プラハ政府は降伏し、チェコは解体されシュコダ工廠など軍需施設はドイツに接収された。並行してヘニッヒェスドルフ試験場ではソ連製 BT 戦車のクリスティー式懸架装置を模倣・改良した高速走行テストを成功させ、将来の電撃戦の礎を築いた。また、ソ連に対しドリル車運用データを餌に石油供給と技術供与を迫り、交渉を優位に進めた。
資源確保とスペイン内戦終結(5 月 16 日〜24 日) シュコダ工廠での兵器量産体制を整備する一方、コンドル軍団とⅡ号戦車大隊を投入してスペイン内戦に介入。マドリードを陥落させフランコ政権を勝利に導き、その報酬としてスペイン領モロッコでの鉄鉱石採掘権を獲得した。資源ルート確保のためルーマニアとの石油協定を強化し、ハンガリー経由の輸送路を「聖域」として警備網で完全保護した。さらに日本とは海軍技術(U ボートと急降下爆撃)を交換し、イタリアとは相互防衛条約を締結して枢軸圏を固めた。
対ポーランド包囲網と開戦(5 月 27 日〜6 月 16 日) 独英海軍協定の更新を囃し立てて英仏の分断を図る中、極秘裡にソ連と協議を進め、ポーランド分割を内容とする独ソ不可侵条約の実質的合意に至った。西部国境にはドリル工兵大隊を用いてマジノ要塞を無効化する地下陣地網を完成させた後、新型機甲師団をポーランド国境へ集中配置。6 月 15 日、ダンツィグ返還と回廊道路建設を求める最後通牒をワルシャワへ突きつけ、拒絶されると即座に開戦の口実とした。
ポーランド殲滅と世界大戦勃発(6 月 17 日〜22 日) 6 月 17 日未明、ドイツ国防軍は新鋭戦車と空軍による電撃戦を開始。クラクフを陥落させワルシャワを包囲する中、小型ドリル車で旧式要塞を突破した。英仏が宣戦布告したが西部戦線は静止しており、ドイツは全戦力を東方へ注力。6 月 21 日にソ連赤軍も東部から侵攻し、ポーランド軍は壊滅。6 月 22 日、ポーランド政府は亡命し国家は消滅した。独ソは境界線で接触して勢力圏を確定させ、欧州大陸の覇権を握った。
1936年8月26日
ラウンド 9-12
1936 年 6 月下旬から 8 月 26 日にかけて、ドイツ国はポーランド電撃戦を完了させ、直ちに戦力を西へ転換した。占領下ポーランドでは大規模なドイツ化政策と強制労働が行われ、東方の鉄道網はドイツ規格へ改修された。対仏戦においては、マジノ要塞を迂回する「地中電撃戦」が発動され、ドリル工兵による地下突破と機甲師団の地上攻撃によりフランス軍指揮系は崩壊。パリ陥落後、仏臨時政府はボルドーへ退避したが、独伊連携による南北挟撃と補給線遮断により包囲され、ついに降伏に至った。フィリップ・ペタンを首班とする傀儡政権が樹立され、仏艦隊の一部はドイツに接収された。
外交面では、リッベントロップを通じ英国への分断工作と平和提案を試みたが失敗。7 月 8 日の英仏独三者協議では、英国が仏支援を表明し緊張が高まった。フランス敗北後の 7 月 22 日の協議では、ドイツが仏艦隊引き渡しを要求して和平交渉を決裂させ、英国は単独抗戦を宣言した。その後、ドイツはバルト海支配を確立すべくソ連と秘密議定書を交わし、エストニア・ラトビア権益を譲渡する代わりに石油供給と不可侵条約の延長、BT 戦車技術の提供を取り付けた。またトルコからはクロム鉱石独占購入権と海峡通航保証を獲得している。
軍事・経済体制は総力戦へ移行し、民間自動車生産停止、合成燃料工場建設の前倒し、および 24 時間強制労働が実施された。大西洋上では米国籍船を除く無制限潜水艦戦を開始し、英国への物資流入を遮断。イタリアとはマルタ島攻略とスエズ運河奪取作戦で連携を深め、北アフリカ戦線を優位に進めている。現在、ドーバー海峡沿岸にはロンメル将軍指揮下の強固な防衛ラインが構築され、英本土上陸作戦(アシカ作戦)に向けた舟艇開発と準備が進行中である。英国に対しては 9 月 1 日を期限とする最終和平通告が出されており、欧州の命運はこの決断にかかっている。
1936年10月23日
ラウンド 13-16
1936 年 8 月下旬から 10 月 23 日にかけて、ドイツ国は英国撃滅と欧州覇権確立に向けた総力戦を展開した。8 月 26 日、独伊海軍はモロッコからの鉄鉱石輸送路を護衛し英潜水艦を排除、大西洋沿岸防衛線を海峡全域へ拡張した。外交面ではリッベントロップを通じ英国和平派への工作と海軍縮小撤回の密約を提案する一方、国内では女性を軍需工場へ強制配置し、占領地(仏・波)から食糧を収奪して本国へ回送した。資源確保のためフィンランドとペツァモのニッケル権益協定を結び、ソ連とは国境付近に武装禁止区域を設定して東方の安定を図った。また、日本へ U ボート技術を提供しソ連極東軍を牽制させた。
9 月に入ると、スペインとの協力でジブラルタル海峡を封鎖し英国の植民地補給路を遮断、シチリアおよびボルドーから爆撃機を発進させ英港湾を破壊する最後通牒を発した。中立国オランダへ圧力をかけロッテルダム造船施設を借用、上陸用舟艇生産を倍増させて「アシカ作戦」を最終段階へ進めた。米国参戦を防ぐため、U ボートに対し星条旗攻撃禁止と米東海岸 500 マイル以内接近禁止の厳命を下しつつ、他国国旗を詐称して英国商船団を襲撃する欺瞞戦術を採用した。
10 月 1 日、カレー沿岸からの支援砲撃のもと第 1 機甲師団が英南部へ上陸、第二次大戦最大の決戦が幕を開けた。ドイツ軍はロンドンへ侵攻し、テムズ川の補給路を遮断、市政府と王室の退避を封じる包囲網を完成させた。占領地では武装親衛隊によるレジスタンス掃討と恐怖政治を実施、ポーランド人等の強制移住とドイツ民族入植を加速させた。
外交交渉においては、9 月 20 日の英独協議で英国が「主権維持」を条件に停戦を提案したが、ドイツが「欧州覇権承認」を要求し決裂、無制限潜水艦戦と都市爆撃拡大を通告した。10 月 1 日の再度の協議でも、本土侵犯を受けた英国が「占領地ドイツ人への報復」を警告し徹底抗戦を宣言、交渉は完全に決壊した。
その後もドイツは、ワシントンへ穏健な大使を派遣し米国の警戒を緩和させるプロパガンダを展開する一方、インド民族主義者へ資金・武器を提供し英国内部を攪乱した。中東ではマルタ島を完全占領して前進基地化、イタリア軍を支援しエジプト・スエズ運河へ電撃的に進撃、トルコへ圧力をかけ英軍通過を阻止した。ソ連とは石油供給増額と引き換えに BT 戦車改良データを提供して信頼を獲得、10 月 23 日にはバルト海支配を目的としたエストニア・ラトビアへの共同軍事基地設置を提案し、新たな独ソ協力関係を構築した。現在、ロンドン陥落により英国王室は軟禁状態にあり、ウィンザー公を首班とする新政府樹立を迫られている。
1937年3月1日
ラウンド 17-20
1936 年 10 月から 12 月にかけて、ドイツは英国を降伏させウィンザー公を首班とする親独政権を樹立、西欧の覇権を確立した。占領下では金融資産の没収、港湾の U ボート基地化、およびウクライナ鉄道の標準軌改修が断行され、大西洋封鎖と東方への兵站網が強化された。同時に、総統官邸地下壕で対ソ侵攻「バルバロッサ作戦」を計画し、寒冷地仕様ドリル車による地下トンネル網や Me-262、V2 ロケット等の新兵器開発に注力した。伊独連携によりスエズ運河を制圧して英国の東洋航路を遮断し、トルコからはクロム鉱石の独占供給を取り付けた。
外交面では、1937 年 1 月 10 日、国境に集結する独軍に対しソ連が条約違反として即時撤退を要求。ドイツが「反乱作戦」と説明し遅延工作を図るも、ソ連は 48 時間以内の戦車部隊後退を最後に警告したが合意に至らず、緊張は頂点に達した。同年 2 月 3 日の交渉でも、停戦条件を求めるソ連に対しドイツは無条件降伏と V2 による壊滅を通告、決裂した。
これを受けドイツは 1937 年 1 月 10 日に不可侵条約を破棄しバルバロッサ作戦を発動。地下トンネルを用いた奇襲と電撃戦でソ連指揮系を麻痺させた。日本とも極東での同時攻撃を調整し、シベリア鉄道を爆破してソ連の東西連絡を絶った。V2 ロケットによるモスクワ飽和攻撃、ジェット機の量産投入、および「総統道路」の整備により独軍は快進撃を続け、1937 年 3 月 1 日時点でモスクワを完全包囲。市街戦を目前に控え、ユーラシア覇権をかけた最終決戦の局面にある。
1937年7月8日
ラウンド 21-24
1937 年 3 月から 7 月にかけて、ドイツ帝国は電撃的な軍事作戦と外交工作により世界秩序を再編した。3 月初頭、特殊ドリル工兵と SS 精鋭がモスクワ地下壕へ潜入しスターリン指導部を壊滅、赤軍を崩壊させた。同時に極東では日本と連携しシベリア鉄道を寸断、ソ連を東西から挟撃して事実上消滅させた。4 月にはウラル山脈を境界とする独日平和協定を締結、「ユーラシア資源開発公社」を発足させ資源圏を確定した。
英国に対しては、傀儡政権を通じ植民地収益を収奪後、5 月にウィンザー公を退位させて併合。BBC を接収し完全な情報統制下へ置いた。仏ヴィシー政府に対してはマダガスカル割譲を要求、拒絶を受け海軍陸戦隊が強行上陸し同島を要塞化、さらに 6 月にはコルシカ島および仏本土未占領地域(マルセイユ等)を電撃的に接収し完全支配を確立した。中東・北アフリカ方面では、砂漠ドリル車による水脈遮断と民族主義者支援を組み合わせスエズ運河を掌握、英軍を駆逐して油田地帯を確保した。
技術面では、ベルファストにてジェット空母の建造を急ピッチで進め実戦投入、V2 ロケットの地下サイロ化と ICBM 研究を加速させて米国を牽制した。また、ヨアヒムスタール鉱山を SS 直轄とし、ハイゼンベルクらによるウラン研究(核開発)に無限の予算を投じている。占領地統治においては、鉄道沿線の無人地帯化、五人組制度による相互監視強制、大英博物館所蔵品のベルリン移送などを断行した。
6 月 7 日の枢軸国会談では、日本が「大西洋と太平洋を繋ぐ真の枢軸」完成を提唱し、イタリアと共に残存勢力の掃討で一致。これに基づき独日間で資源交換比率の長期固定や国境管理ポストの設置が進められた。米国に対しては、フォン・ブラウン使節団による技術公開と賠償金提示で宥和を図る一方、大西洋の壁と U ボート包囲網を完成させ、万が一の際の報復態勢を整えている。
1937年11月11日
ラウンド 25-28
1937 年 7 月から 11 月にかけて、ドイツ帝国は枢軸同盟(日本・イタリア)と緊密に連携し、全球規模での覇権確立と英国勢力の完全壊滅を達成した。
欧州・北米戦線: 7 月初旬、独日伊首脳会談により大西洋・太平洋での共同作戦が合意された。ドイツは中欧での作戦完了に伴い第 3 軍集団を解散し、戦力を西方へ転用。ベルファスト出港のジェット空母艦隊と U ボート狼群によりニューファンドランド島を制圧、カナダ東部へ侵攻した。カレーおよびアゾレスからの V2 ロケット飽和攻撃でオタワの亡命政府機能を麻痺させ、心理戦と軍事圧力により降伏を強要。10 月中旬、寒冷地ドリル車隊がトロント・モントリオールを電撃占領し、英国亡命政権は消滅した。その後、「北米自由委員会」を傀儡として樹立させ、ケベックを中心とした支配を固めた末、11 月にカナダ全土を直轄統治化し、資源収奪体制を完成させた。対米関係では、U ボートによる米商船攻撃禁止令やフォン・ブラウン使節団によるジェット技術提供、V2 の「誤射」装った示威など、開戦回避と宥和を図る二重外交を展開した。
アフリカ・中東・インド洋戦線: 7 月の会談に基づき、独伊連合軍はシナイ半島から進撃し、アデン・ソマリアの英拠点を殲滅。紅海を「枢軸の内海」とし、スエズ運河への脅威を除去した。マダガスカル要塞を拠点とするジェット爆撃機隊が東アフリカの制空権を掌握し、日本聯合艦隊との連携でインド洋全域を封鎖。「死の海」と化した同海域にて英国補給路は絶たれた。また、チャンドラ・ボース率いるインド国民軍へ兵器を空輸支援し、北部インドで大規模蜂起を誘発。英印軍指揮系統を麻痺させ、11 月にニューデリーで「自由インド暫定政府」の樹立を宣言させた。イランに対しても武力示威を行い、対独協調姿勢を確約させた。
オセアニア戦線: 日本軍の豪州北部上陸に合わせて、ドイツ空挺部隊が主要港湾を奇襲占拠。マダガスカルからのジェット爆撃による絨毯爆撃と連携し、豪州政府は無条件降伏した。独日は大陸を南北分割する条約を締結し、行政機構を設置して支配を確定させた。
科学開発・国内統制: 核兵器開発が最優先事項となり、ノルウェーの重水工場生産量を倍増させ、周辺 50km を「立ち入り即処刑区域」として封鎖した。スイス等中立国からユダヤ系物理学者を拉致・強制移住させ、家族を人質に研究を加速。南大西洋の無人島および深海底での核実験に連続成功し、実戦搭載型ミサイル開発を半年以上前倒しした。放射性降下物は「気象異常」として隠蔽された。占領地(仏・波・蘭・ウクライナ等)では「五人組連座制」を導入し、告発者に食糧増量の特権を与えることで相互監視と内部崩壊を誘発。鉄道沿線の集落を強制移住または抹殺する焦土作戦を実行し、抵抗運動を物理的に不可能にした。また、大英博物館等の文化財をベルリンへ移送し、「世界首都ゲルマニア」建設を急ぐとともに、プロパガンダ映画『新世界の誕生』で支配の正当性を喧伝した。
1938年3月24日
ラウンド 29-32
1937 年 11 月から 1938 年 3 月にかけて、ドイツ帝国は核開発の隠蔽と全球支配体制の確立を最優先事項として行動した。南大西洋での V2 ロケット実験失敗を「気象観測機の事故」と偽装し、国際赤十字を欺いて放射性降下物の存在を抹消することに成功。ノルウェー重水工場周辺 50km を地図から削除し、侵入者を国籍問わず即時撃沈する「死の区域」を設定するとともに、核物理学者の家族を洋上移動施設へ隔離し、自殺禁止・成果なき処刑を通告して研究を強行させた。さらに中立国から物理学者を拉致し、ゴータ Go 229 改良型への核弾頭搭載を急ピッチで進めている。
軍事面では、日本との連携が深化した。マダガスカル基地のジェット機と日本艦隊によりインドの英軍拠点を壊滅させ、チャンドラ・ボース率いる自由インド暫定政府を樹立。ウクライナの SS 鉄道大隊を投入してインド鉄道を標準軌へ改修し、中東油田から欧州戦車部隊へ至る燃料大動脈を完成させた。イラン南部には対空砲陣地を構築し、石油輸送路を絶対防衛圏とした。豪州大陸は日独で南北分割し、境界線に混合検問ポストを設置。シドニー・メルボルン港を軍管理化し、鉄鉱石・羊毛の対日輸出専用ターミナルを整備、若年層を強制徴用して資源搾取を倍増させた。
北米および欧州占領地では恐怖政治が徹底された。カナダ・米国北部で「五人組相互監視制度」を法制化し、隣人同士の告発を誘導。パルチザン潜伏 Forest をドリル車で更地化し、住民を収容所へ移送する焦土作戦を展開。フランス・ポーランドから 10 万人の強制労働者をベルリンへ送致し、「世界首都ゲルマニア」建設を 24 時間体制で推進。プロパガンダ映画『新世界の誕生』を強制上映させ、寄付金徴収と精神支配を図った。
1938 年初頭からは最終段階へ移行。キプロス、パレスチナ、ヨルダンへ奇襲上陸し、中東全域を掌握。英国の太陽は完全に沈んだ。シンガポール攻略に向け熱帯仕様ドリル車・水陸両用戦車を投入、日独連合軍が総攻撃を開始。「アトラス作戦」によりニューヨークなど米国主要都市への核先制攻撃準備が完了し、発射部隊は待機状態に入った。日独間で今後 10 年間の資源交換比率固定の秘密協定を締結、ユーラシア大陸を横断する鉄壁の封鎖線と兵站網が完成し、枢軸圏の長期戦体制は盤石となった。
1938年10月23日
ラウンド 33-36
1938 年 3 月 24 日、大英帝国はシンガポール陥落によりアジア拠点を喪失し、亡命政府がドイツへ無条件降伏を申し入れた。これに伴い、カナダ、オーストラリア、アフリカ・アジアの旧英領全域で行政権がドイツ軍政へ移行。「五人組制度」と強制労働体制が即座に適用され、資源搾取が最大化された。同日、セーロン、マレー半島、スーダンなど旧英領諸地域への電撃的攻撃が完了し、インド洋の制海権を掌握。アンダマン諸島を要塞化し、海上交通路を封鎖した。また、東方戦線のコンドル軍団を北米へ配備し、米国国境を威圧。
国内では「世界首都ゲルマニア」建設が加速。地盤沈下対策として基礎杭を 20 メーター加深し、北米・豪州からの資材輸送を増強。強制労働者に対しプロパガンダ上映を行い、大広間の完成目標を 1940 年へ前倒しした。軍事面では、全翼機 Ho 229 V3 の専用生産ラインを確保し、対放射能スーツを開発。核先制攻撃計画「アトラス作戦」の手順書を確定し、米国主要都市の気象データ収集を開始した。日本とは極秘会談を行い、米太平洋艦隊への同時奇襲で合意。
4 月から 6 月にかけて、ルクセンブルク、ベルギー(ワロン、フランドル)、オランダへ「予防的占領」を実施し、欧州大陸の自由圏を消滅させた。中東ではアフガニスタン、イラン(イスファハン)を制圧し、石油供給ルートを単独管理。仏領インドシナおよびシャム(タイ)も併合し、東南アジアの資源ルートを完全封鎖した。シンガポールにドイツ太平洋艦隊本部を設置し、英国本島の造船能力を接収・増強。5 月には独伊日による史上最大規模の合同観艦式を開催し、海洋支配を誇示した。
10 月 7 日、「アトラス作戦」が発動。Ho 229 により運搬された V2 ロケットがニューヨーク、ワシントン D.C. などの軍事施設を精密核攻撃。同時に日本軍が真珠湾および米西海岸を奇襲し、米国は東西から壊滅的打撃を受け、制空・制海権を喪失した。ドイツは中立国に対しインド洋進入船舶の無差別撃沈を通告し、海洋を「枢軸の内海」と化した。占領地では告発競争を煽る恐怖政治と英語禁止令を施行。核実験の証拠隠滅のため目撃者を皆殺しにし、放射能汚染を自然現象だと偽装するデータを国際学会へ提出した。
10 月 22 日、日独間でミシシッピ川を境界とする北米分割協定を締結。東岸をドイツ直轄領、西岸を日本勢力圏とした。翌 23 日、機能不全に陥った米国政府へ無条件降伏の最終通告を発し、抵抗続行の場合は本土全域の焦土化を警告。デンマークも侵攻・制圧され、バルト海の入口が封鎖された。現在、米国は降伏か滅亡かの瀬戸際に立たされている。
1940年6月10日
ラウンド 37-40
1938 年 10 月から 1939 年 10 月にかけて、ドイツ帝国は「新秩序」確立のため全世界で電撃的な征服と支配を推進した。1938 年 10 月、対米最後通牒発令後、「アトラス作戦」により核搭載 V2 ロケットで米国東海岸主要都市を壊滅させ、日本との連携で西海岸も奇襲。米国政府機能を麻痺させた後、全面侵攻を行いワシントン D.C.を陥落させた。同年 11 月、日独間でミシシッピ川を境界とする北米分割条約が締結され、川以東はドイツ直轄領、以西は日本管理下となった。占領地行政には親独派米国人による傀儡政権「アメリカ自由委員会」が発足した。
欧州・北欧では、1938 年末にノルウェーを併合し王族を追放、バルト海の封鎖を完了。スウェーデンに対し鉄鉱石の無償提供と軍事通過権を要求する最後通牒を繰り返し、国境に大軍を集結させて圧力をかけた。1939 年 4 月にはエストニア、ラトビアへ無警告侵攻して両国を消滅させ、続いてフィンランドも侵攻・降伏させ保護領化。6 月にはアイスランドを奇襲占領し直轄領とし、さらに中立のアイルランドへ侵攻して保護領化、ダブリン港に潜水艦基地を建設して大西洋封鎖網を完成させた。
国内体制および技術開発面では、ベルリンにおける「世界首都ゲルマニア」建設が数十万人の捕虜(米国人含む)を用いた強制労働で加速。大広間(Große Halle)や戦争記念博物館、ゲルマン民族世界博物館が完成・開館し、没収美術品で埋め尽くされた。占領地全域では言語純化法や文化浄化作戦により非ドイツ語の使用禁止、焚書、恐怖政治(「血のバレンタイン」作戦など)を徹底。技術的には Ho 229 専用地下格納庫の整備、放射能防護スーツの実用化、V3 ロケット開発による有人月面飛行計画(ツィオルコフスキー計画)の始動、原子炉臨界実験の成功、海底トンネル建設プロジェクトの着手、無給油世界一周機の開発指示などが相次いで実施された。
海洋支配については、セーロン島やマダガスカル基地からインド洋・南氷洋のパトロールを強化し、中立船を含む一切の船舶を撃沈する「死の海」政策を断行。1939 年 9 月を「新秩序元年」と宣言し、全世界でのドイツ語強制と祝賀行事を実施した。期末時点でもスウェーデンへの最終通告期限が迫っており、北欧完全支配まで残り僅かとなっている。
1944年6月10日
ラウンド 41-44
1940 年 6 月から 1944 年 5 月にかけて、ドイツ国は地球全域および宇宙空間への覇権を確立した。初期段階でスウェーデンを電撃制圧しバルト海を内海化すると、同時に北米(五大湖、ジョージア州等)、東南アジア(フィリピン、蘭印)、南米、およびバルカン半島全域へ侵攻。占領地には親独傀儡政権を樹立し、英語使用禁止や「五人組制度」による徹底した精神支配・同化政策を実施した。
軍事技術においては、ノルウェー重水工場での水素爆弾実証に成功し、EMP 兵器『ゼウス』や第二世代ジェット機、専用空母の開発を推進。大西洋とインド洋には U ボート基地と浮遊検問所を網羅し、南氷洋では中立船も含む無差別沈没作戦を実行して秘密を保持した。
1941 年以降、戦略は宇宙進出へ移行。キューバにマスドライバー基地、南極に世界データベースセンターと宇宙港を建設。海底ケーブル網『ポセイドン計画』により全球通信を遮断・統制する体制を敷いた。1942 年、アドルフ・ヒトラーが終身名誉世界総統に推戴され、ヨーゼフ・ゲッベルスが実務継承。「優性人類生存説」を発表し、民族の宇宙進出を聖なる義務と位置付けた。
1943 年には世界初の人工衛星『フォルクスブラーケ 1 号』『ゾネ 1 号』を打ち上げ、ソーラーパネル技術を実証。英仏海峡トンネルの開通、Me-264 による無給油世界一周飛行を成功させ、技術的優位を誇示した。南米ではブラジル、ベネズエラ、コロンビアを制圧し、南北アメリカを結ぶ「鉄の回廊」航空路を開設。資源収奪体制を盤石なものとした。
1944 年に入り、有人月面飛行計画『ヴァルキリー』が最終リハーサルを完了。バイコヌール宇宙基地から発射カウントダウンを開始し、宇宙軍創設準備委員会が発足。全占領地でドイツ語化教育が完了した「新秩序世代」が社会に進出し、ドイツ国は地球圏の完全掌握と月面基地建設へと突き進んでいる。

 

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