前に進みたいのに進めなくて、だいぶ時間が開いてしまいました。
まぁでもジャンプは週一、コロコロは月一やしへーきやろ。なんて開き直って鼻くそ堀堀してます。
終わらせる意志はあるんですけどねぇ〜。
はてさて何年かかることやら・・・・。
計画性のなさがモロ出る。
他の皆さんがどんな風に小説を設定するかわかりませんけど、私はあやふやに始まりと終わりを想定して、こんなシーン描きたいなーって感じで羅列して、空白をいい感じに埋めながら小説を組み立てます。
それこそ完璧!!ってくらい設定を練り込む、なんかロードーオブ・ザ・リングみたいな言語まで自作しちゃう化け物くらい下準備をこなせば書きやすいんだろうなーと思いながらも、全体像が何となく見えてきた段階で我慢できず書いちゃうっていうのが通例。
バチンってハマる時はめちゃくちゃ書いてて気持ちイイ。
でも話を上手く繋げられない時は、ンンガァー!!って頭掻きむしりまくって禿げ上がる。
なので、まるで第一話から過去の話とかをゴリゴリ詰めてるかのようにキャラクターを動かしてますけども、実際は頭空っぽの真っ白けっけ。
段々と設定を固めないといけない状態になると、矛盾とか違和感とかの凸凹を滑らかにしようと頭を悩ませる(泣)。
この自由を奪ってから作品を組み立てていくやり方は、長州力の入場曲『パワーホール』作曲で有名な”異母犯妙”あらため”平沢進”と、『賭博黙秘録カイジ』で有名な”福本伸行”両名が使用していたテクニックです。
調べればもっともっと実例があるのだろうけど、今はただ型を作ってしまってから中身を仕上げるやり方が有用であるってことを伝えたいので本筋に戻ろう。
そんな有名人が使っているやり方を活用してる癖、ろくに作品を仕上げられないのは、単に自分の力不足なんだろうなってしっかり胸に刻んでセコセコストーリーの組み立てに努めます。
決め事ってかこだわり〜名前を言ってはいけないあの人的な?〜
私の書く小説には色々な決まりというか頑固というか譲れない一線みたいなものがあります。
その中の一つが、ある社会問題の名前。
名称をド忘れしたとかじゃなく、文字にすればするほど、言葉にすればするほどその文字自体が持つ”重み”が軽くなっていく気がして小説中には登場させないようにしています。
は?なに言ってんだこいつと思われるかもしれませんが、自分の決め事みたいなのを決めるのには、ちゃんとした理由があるのです。
こだわりを持つことは、その人だけが出せる味のようなものを生み出す。
たとえそれが大したことなくても、積み重なれば立派な趣となる。
それが個性ってものはそういうことじゃないのかにゃ〜て、勝手に考えています。
視点が安定しないのは、書きたい視点を強調したいからだ
例えば、「うわこのキャラクターから見る見る景色おもしれー」とします。
でも、そのキャラクターが語り手って訳じゃない。
他の誰かの目線で物語を語ってもいいけれど、どうせすぐにバトンタッチしてしまうことがわかりきっている時。
一人称と三人称視点をごっちゃにして話を進めようとしていたのは、技術がないなりに私が生み出した苦肉の策だったんだなって書きながら思い至りました。
あんまり視点を動かしまくるのは、書いてる方はいいけれど、初めて読む人を混乱させてしまうからよろしくない。
なら、せめて区別を付けやすいように、なんでも知ったような口ぶりの神目線で語れば他のキャラクターとごちゃ混ぜにならずに済むんじゃね?
・・・・多分、こんな風に当時は思ってたんだろうな。
でも、いくら口ぶりに差があるとはいえ、あまりに交互に喋らせるとマジで見分けつかなくなるからほんとヤメろよ?
主人公に抱くキモさキモさについて
よく『作者の願望が丸出しでキモイ』『作者が主人公に自己投影していて吐き気がする』なんて声に見覚えがないだろうか。
この意見、実は根本から間違ってます。
そもそも人が書く物語なんだから、その人から出力される小説に感情が見え透いててキモいっておかしいでしょ。
ほならね自分がやってみろって話でしょ?私はそう言いたい。
赤の他人に操られた、信念の通っていない文字列を垂れ流し続けられるならしてみてください。
シンプル地獄だから。
それが続けられる人は私なんかよりよっぽど才能あるわ。
・・・・なので正しく表記するなら、作者の思い描く世界観から人物から文書の端々に至るまで『全てキモい』だ。
二度と間違えるなカスが。
需要を供給するのがモノカキならば、私は確実にモノカキ失格
『web小説に求められているものとは、何も世紀の傑作などではない。長い期間、決まった時間を潰せ、毎日供給されるそこそこの物語である』
記憶が正しければ、小説になろうのエッセイで書かれていた内容だが、これを見た時”確かにな”と思った。
素人に毛が生えたような作品が多い森の中で、傑作を求め彷徨う歩く行為はハッキリ言って愚か。
それは、多くの人がランキングから好みの作品を探すことからもわかる。
けれど私が書きたいものは、読み手の脳みそをぶっ壊して、心臓を抉り取ってしばらく塞ぎ込んでしまうような「世紀の傑作」・・・・のつもり。
でも、私にその技術があるとは言い難い。
頭では最高の物語が拍手喝采で終わっているはずなのに、いざ産み落としてみれば、その落差にショックを受け余計に傷つく。
それもタチの悪いことに、描き終わってからしばらくの間をおいてハタと気付くのだ。
俗にいう、ランナーズハイ現象。
好きなはずの小説を描くという行為が嫌になる理由の一つ・・・・。
久しぶりって、なんぞや?
物語を進めていく過程で、なんだか説明できないような気がしたので検索検索ぅ⤴。
へぇ〜、外国人がけっこう戸惑う言葉なんですね(日本人の私も戸惑った)。
「久しぶり」は主観的でポワポワでフワフワなんですって、だから割と自由な言葉なんだなぁ〜。
日本語って、”空気”って文化で考えるな感じろ民族だから、世界的に見ても習得の難易度が高いらしい。
下から、1,2,3,4,5…..
上から、…..5,4,3,2,1
へいジョージ?どうして4を『し』と『よん』って分けて読むんだい?訳がわからないよ!!
えぇー・・・・そんなん昔からそう教えられてきたから、意識したことなんてないにょー・・・・。
なんて。
だから、アニメが好きで、アニメで日本語勉強しましたってのは割と”空気”を捉える上では理にかなってる勉強方法なのかなと勝手に妄想したりしてなかったり・・・・。
「久しぶり」はどれくらいの長さ?

まとめ
なんか唐突に話を膨らましたくなた。
後二人くらいヒロイン入れてもバレへんやろ・・・・ってあーだこーだ練ってみたけど、明らかにややこしくなるし、肝心の剣道が漬物石になりそうだから一人追加で我慢した。
無計画なワシ、超絶エライ。
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