【モノカキのための】賢いって何?余力という一解釈【創作哲学】

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やぁ、こんにちは。おおきなかぎだよ

 

今回は、余裕がないと賢くない?そんな小説内における賢さについてお話しするね

 

余力という一解釈

 

小説を書く作業の中に、”キャラ付け”というのがあるね

 

登場人物たちに多彩な設定を与えることで、ヨミセンを物語に引き込む手法のことだ

 

そんな中でもストーリーに必ずと言っていいほど登場するのが、天才・頭脳系・頭のキレる”賢いキャラ”

 

かぐや様は告らせたいでは四宮かぐやと白銀御行が恋の駆け引きに鎬を削り、デスノートでは夜神月とLによる頭脳戦が繰り広げられ、イニシャルDでは主人公の藤原拓海が超絶テクニックで次々にライバルを打ち負かしていく・・・・

 

でもここで疑問なのが、どうやって”賢いキャラ”に説得力を持たせているのか

 

学年主席・大会優勝、有名大学の難関学部所属、現役プロドライバーに勝った!の文字だけでヨミセンが納得してくれるなら苦労はないね

 

それじゃあ、どうやって”賢さ”を表現すればいいの?

 

そんな時は、この言葉を思い出して?

 

スバリ!「賢さとは余力」という考え方だよ

 

なぜ賢さ=余力なの?

能力の最大化

 

理由は大きく分けて三つ

 

一つ目は、『能力の最大化』だよ

 

どんなに賢いキャラクターでも、時間がなかったり、寝不足だったり、好きな人の前だと万全は尽くせないよね

 

かぐや様は告らせたいでも、学年トップの成績の会長と文武両道の副会長なのに、ちょっと二人きりになると途端にIQが下がってしまうんだ

 

いかに相手への恋心を隠しながらアピールできるかに全力投球する様は、側から見ればヘンテコそのもの。でも、本人達からしたら大真面目。まさに、恋は盲目ってやつだね

 

こんな具合に、心と体に余裕が無い状態は愚かな状態になりやすい

 

裏を返せば、心と体に余裕を持たせたキャラクターは能力を最大化できて、賢く振る舞えるってことだね

 

リスク回避

 

二つ目は、『リスク回避』だよ

 

デスノートの主人公である夜神月は、凶悪殺人犯として行方を追うLと名乗る人物の挑発に乗って、当人を殺害してしまうよ

 

結局それは罠であり、夜神月の住んでいるエリアの特定・能力の把握・人物像の割り出しと多くの情報をLに渡してしまう羽目になるんだ

 

もしも夜神月が慎重に対処していれば、物語はもっと違ったものになっていたかもしれないね

 

真に賢いキャラというのは、安易に行動に移すなんてことはしない

 

さまざまな可能性を念頭に置いて行動しているんだ

 

リスク回避で安全を重視した立ち回りは、安定的に成果を上げることに寄与するって寸法だね

 

柔軟性

 

三つ目は、『柔軟性』だよ

 

イニシャルDの藤原拓海は、地元の秋名山では無敗のダウンヒルプレイヤー

 

自分の車を体の一部のように扱う繊細な技術センスで、相対する数々のライバルを打ち倒していきます

 

しかし、全ての勝負が万事順調とはいきません

 

東堂塾OB。現役プロレーサーとの勝負は熾烈を極めました

 

今までとは別格の強さの敵を前に、これまでの技術では勝てないのだと悟ります

 

そんな絶体絶命のピンチの中、藤原拓海はまさに神がかりとも言えるテクニックを覚醒させ、プロ相手に食らいついていくのです

 

重要なのは、必要とあらば戦い方を変化させるという柔軟性だよ

 

その柔軟性を生むカギこそが、”余力”なんだ

 

目の前のことに集中してしまうことは、他の可能性を切り捨てているとも言えるね

 

必要とあらば手持ちのカードをフルに使い、時には無茶を戦略に組み込むことで、格上と互角以上に渡り合うことができるようになるんだ

 

これは常日頃から全力を出していてはできない芸当だね

 

とまぁ、こうした理由で賢さとは余力なわけなのです

 

最後まで見てくれてありがとう。ばいば〜い!

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