弁証法
どんどん合体してっちゃうよーというお話
次回からいじめを弁証法を使って解き明かしていきます
弁証法というのは、相反するAとBを合体させて、どちらの要素も兼ね備えたCを作っちゃおう!という考え方
ここまで必要なパーツを収集してきたので、総決算ですね。いよいよ終わりが近づいてきた
いきなりデカルトの名前が出てきてやっつけ感があるのは私の設計不足です。ある程度の自由さを保ったまま物語を進行してきましたが、ご都合主義感が出ますねこのやり方。反省して次回に活かす
長年の構想を形にする!の志で書いた今作ですが、心残りがありすぎる。難しいね小説って。本にするためにも本当に今すぐ書き直したい。描き直すってなったら作品前半の文章にも向き合える気がする・・・・。過去の自分もちゃんと供養してあげないと前に進めない
創作哲学も執筆哲学も進行しているから、次はもっとやれるはず
んで、どういう方針で女性向けに描き直そうかなと、男性向けと女性向けについてさらに考えてみたんですよ
結果、男性向けは”承認”に価値を置いて、女性向けは”独占”に価値を置くのかなとかなんとか
“承認”というのは消耗・成果・癒しのこと。男はとにかく友情努力勝利みたいに単純な感じ。”独占”は守られる・支配・ぞんざいのこと。女はなんというかめんどくさい感じ
まだまだ文章としてまとまり切ってない。文章にして初めて気づく粗とかありますから、書かないことには執筆哲学としては完成しないのだけれども。書くのめんどくさい、考えるのヤダ。執筆哲学としての完成はかなり後にはかなりかかりそう・・・・
面白いってなんだろう?
記事にしてないのに取っ散らかるねーというお話。執筆哲学の進捗です
文章を”伝わってなんぼ”という基盤はできた。それならと、次は “面白い “について取り掛かることにしました
過去にも何度か挑戦してましてね。今ならもっと良いモノに更新できそうと取り組んだ次第
面白さについてはさまざまな意見が出るでしょうが、端的に
面白さとは『接続』ではないか?というのが現段階での解釈です
大人が”もっと勉強しておけばよかった”といったり、学び直して”勉強楽しい”というように。面白いとは別々のものが繋がる瞬間を指すのではないかなと
知識の接続。感情の接続。キャラの接続。展開の接続。承認の接続。独占の接続。この辺りかな?
ジグソーパズルのように、多くのピースが接続される作品が”面白い作品”になるのではというのが私の中での解釈です。必然的にピースの総量が増えるほど”面白い作品”の傾向が強くなる。だから面白い作品には長編が多い。逆に短編はピースの数が制限されてしまい、評価されるためには高い完成度を要求されるのだと思います
文章を”伝えた”上で、いかに”接続”のピースを供給できるか。私の目指す小説のあり方が、朧げながら見えてきた。引き続きこの調子で執筆哲学を整備しておこうと思います。記事にしてまとめていかないと溜まる一方だ・・・・
『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』。買って読んだ
なんだか元気の出る本だったよーというお話
西洋の哲学には触れてたけど、東洋の哲学は手付かずだよなーと思い立ったので読んだ
哲学の本って堅苦しくて読みにくいんだよなーと身構えてたらそんなこと全くなかった。するすると読み進めて、あっという間に読了。砕けた文章で要素も絞られてて丁寧だった。逆にいうと乱れた文章で内容が薄くて説明が多かった。ここら辺は好みが分かれるところ。私は東洋哲学全くの無知だったのでちょうどいい。東洋哲学に興味を持って入門するという点ではいい本のように思えます
いやーね。次回長編の舞台が戦国風日本で、もしかしたら東洋哲学で世界観が深くなるかも?という思惑はあったものの、うまく作品には組み込めなさそう。もし作品に組み込むのなら、もうちょっと勉強が必要なように思える。いやでも”教養としての”だからね。知ってるのと知らないのとじゃえらい違い。またどこかで活躍できる日がくると信じて、本棚に飾っておこうかな
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