第五章終わり
やっとここまでこれたよーというお話
次回から最終章です。着地点は決めてあります。あとは書くだけ。だけどそれが難しい
今回のお話で、私が書きたかったことは書き尽くしました。タグのヤンデレは結局影も形もないままここまできてしまった。消すべきなんでしょうか。消すべきですね、消しました
ヤンデレ書けるかな〜書けないかな〜って無計画に書いてるのがバレバレですね。創作哲学の整備が進めばそんなこともなくなると思うので、次回作にご期待くださいということで
こっからはコツツミさん中心に最終話まで一直線。創作を主軸に据えてやっていく予定。これを機に執筆哲学もテコ入れして、作中に組み込むのを目論んだり・・・・
まぁ、上手くいかないのが人生ですからね。自分の出来る範囲内で、自分に出来ることをコツコツ積み上げますよ
人が動く条件と、動かすために取るべき行動(仮)
まだまだ未完成だよーというお話
創作をする立場なら誰もが直面する永遠のテーマ
それが、”やる気”です
投稿頻度を上げるためにも、この問題は避けては通れません
執筆哲学を始動させた私も、ついに本格的に乗り出す必要があると本腰を入れて考えました
ここでは、その成果?をお話しできたらなと
まず前提として、人は動きません。これはあらゆる物事に共通して言えることですが、エネルギーがないところでは基本物体は静止します
それなら人はどんなエネルギーによって動くのかといえば、それは”ワガママ”なんじゃないかなと私は考えています
自分のワガママ、相手のワガママ、自然のワガママ。人間は、ワガママという欲求でしか動かない。逆にいえば、正しくワガママを使いこなすことさえできれば、執筆への意欲を自由にコントロールできるのではないか?というのを考えていました
そしてこのワガママ。このワガママは一体何を根源にして発生しているのか。考えた結果、 “罪の意識”という仮説を導き出します
人は”罪の意識”によって動く。自分のワガママに対する罪の意識によって人は動くと言えるし、相手のワガママに対する罪の意識によって人は動くとも言えるし、自然のワガママに対する罪の意識によって人は動くんじゃないかなと
まだ具体的にどうすればいいか?が定まっていないので、上手くまとめることができたら執筆哲学とし発表したいと思います
さてさて上手くまとまるのか。そもそもこの仮説は正しいのか。執筆哲学、コスト重い。けれど十分、悩む価値はある
三切れ、二段に昇段したぜV
右玉の早指しが花開いたよーというお話し
将棋ウォーズ三分切れ負け、やっと二段に昇段できた
嬉野流の限界を感じて右玉一本に絞って、やっと成果が出たって感じ。その対局がこれ
右玉特有の、ゆっくりリードを広げながら相手に合わせて柔軟に対応していく指し回しは、どうやら自分に合っていたようだ
今度は十秒将棋・・・・にしようと思ってたんだけど、ボイロ実況のけいなりさんの動画を見ていたら、なんだかエフェクトを集めたくなってしまった
集めるとなったら避けられないのが、相居飛車の将棋。相居飛車は序盤から爆弾を渡し合うキケンがアブナイ戦法。私が最も苦手な種類の将棋です
エフェクトを集めるとなれば、もう一度一から定跡を勉強しないとな。またしばらく勝てなくなるんだろうな。・・・・いまはちょっと将棋から離れたい気分
参考
スプレー缶による火災(噴射可燃性ガス引火実験)


コメント